剣契(コムゲ)とは?
ドラマ初期の重要なファクターで、トンイの父や兄・が所属していた団体が剣契(コムゲ:검계)です。
この団体は一体どんなものだったのでしょうか?
もともと朝鮮の伝統的な相互扶助の仕組みとして契(ケ:계)があります。
これは、冠婚葬祭や農機具の共同使用など、生活に関する相互扶助で、暴力的なものではありません。
日本でも村落単位で同じようなことがされていたので、イメージは掴めるのではないでしょうか。
方や剣契(コムゲ:검계)ですが、葬儀費用の相互負担団体香徒契(ヒャンドゲ:향도계)が母体になり、実際に粛宗(スクチョン)の時代に暗躍した記録があります。
ドラマの設定とは数年前後しますが、1684年(粛宗10年)の粛宗実録の記載が公式には初めてのものです。
このことは、劍契殺主契事件(コムゲ・サルジュゲサゴン:검계·살주계사건)として有名な話です。
劍契殺主契事件(コムゲ・サルジュゲサゴン:검계·살주계사건)
1684年(粛宗10年)に日本から送られた国書が事件の発端となりました。
1592~1598年にわたる秀吉の朝鮮出兵、そののちの1630年代、明を滅亡に追い込んだ、蛮族と見ていた女真族の中国王朝清からの侵略と、度重なる国難で心身ともに疲弊し後遺症に悩んでいました。
そんなさなか、台湾に逃れた明の遺臣が朝鮮に攻めてくるという日本の国書の内容が風聞として広まり、秀吉の朝鮮出兵の時と同じように、ソウルから逃げ出す民が続出しました。
その財産を狙い民を襲ったのが劍契や殺主契でした。
朝鮮の三大盗賊の一人張吉山(チャン・ギルサン:장길산)が朝鮮北部で暗躍していたのも、この十年後なので、トンイが生きた時代が、王朝の権威が失墜した不安定な時代であったことが見て取れます。
この団体は一体どんなものだったのでしょうか?
もともと朝鮮の伝統的な相互扶助の仕組みとして契(ケ:계)があります。
これは、冠婚葬祭や農機具の共同使用など、生活に関する相互扶助で、暴力的なものではありません。
日本でも村落単位で同じようなことがされていたので、イメージは掴めるのではないでしょうか。
方や剣契(コムゲ:검계)ですが、葬儀費用の相互負担団体香徒契(ヒャンドゲ:향도계)が母体になり、実際に粛宗(スクチョン)の時代に暗躍した記録があります。
ドラマの設定とは数年前後しますが、1684年(粛宗10年)の粛宗実録の記載が公式には初めてのものです。
このことは、劍契殺主契事件(コムゲ・サルジュゲサゴン:검계·살주계사건)として有名な話です。
劍契殺主契事件(コムゲ・サルジュゲサゴン:검계·살주계사건)
1684年(粛宗10年)に日本から送られた国書が事件の発端となりました。
1592~1598年にわたる秀吉の朝鮮出兵、そののちの1630年代、明を滅亡に追い込んだ、蛮族と見ていた女真族の中国王朝清からの侵略と、度重なる国難で心身ともに疲弊し後遺症に悩んでいました。
そんなさなか、台湾に逃れた明の遺臣が朝鮮に攻めてくるという日本の国書の内容が風聞として広まり、秀吉の朝鮮出兵の時と同じように、ソウルから逃げ出す民が続出しました。
その財産を狙い民を襲ったのが劍契や殺主契でした。
朝鮮の三大盗賊の一人張吉山(チャン・ギルサン:장길산)が朝鮮北部で暗躍していたのも、この十年後なので、トンイが生きた時代が、王朝の権威が失墜した不安定な時代であったことが見て取れます。