トンイと肅宗の本当の出会いは?
トンイ第22話。
トンイを宮廷から追いやろうと送り込んだ内需司(ネスサ:내수사)だったが、逆に不正の証拠を掴まれそうになりトンイを亡き者にしようと企むチャン・ヒビン一派。
火曜サスペンス並のサスペンス劇場を繰り広げはじめたストーリーにやきもきしまくりです!
第22話はフィクション度が濃いので、史実ではちょうどこのごろ起こったであろうと思われるエピソードを紹介します。
トンイと肅宗の本当の出会いは?
トンイと肅宗が初めて会ったのは1692年(粛宗18年)、トンイ23歳、粛宗32歳の時とされています。
第21話で仁顕王后(イニョンワンフ:인현왕후)が廃庶人となった日が1689年5月2日。この当時、トンイは20歳でしたね。
史実ではトンイは7歳から入宮したので、実に16年間、同じ敷地に住みながらも会わなかったのです。
では、どうやって出会ったのでしょう?
ドラマでもその片鱗を見せていますが、粛宗は王にしては型破りで、好奇心も旺盛で夜歩きなんぞをしていたようです。
そんなある日、ある部屋に煌々と明かりがついていました。気になった粛宗は覗いてみました。
すると、ごちそうが並べられ、何かを祈っている宮女の姿が見えました。
遂に我慢ができなくなった粛宗は部屋の戸を開け、宮女に何をしているのかと訪ねます。
宮女は粛宗に向かってこういいました。
「廃庶人となった仁顕王后(イニョンワンフ:인현왕후)の誕生日の祝いをしておりました」
と。
まさに、この宮女こそがトンイです。
仁顕王后が王宮を追われて3年後のことです。
ドラマでは小屋で偶然出会いましたが、このエピソードの出会いもロマンチックですよね!
このエピソード、朝鮮王朝実録などの公文書ではなく、官吏の李聞政(イ・ムンジョン:이문정)が記した随聞録(スムンノク:수문록)に書かれています。
この本は1721年、景宗の御代に書かれたもので、個人が書いた回顧録のようなものです。彼の地位や職責からも信ぴょう性はそれなりに高いと言われています。
トンイを宮廷から追いやろうと送り込んだ内需司(ネスサ:내수사)だったが、逆に不正の証拠を掴まれそうになりトンイを亡き者にしようと企むチャン・ヒビン一派。
火曜サスペンス並のサスペンス劇場を繰り広げはじめたストーリーにやきもきしまくりです!
第22話はフィクション度が濃いので、史実ではちょうどこのごろ起こったであろうと思われるエピソードを紹介します。
トンイと肅宗の本当の出会いは?
トンイと肅宗が初めて会ったのは1692年(粛宗18年)、トンイ23歳、粛宗32歳の時とされています。
第21話で仁顕王后(イニョンワンフ:인현왕후)が廃庶人となった日が1689年5月2日。この当時、トンイは20歳でしたね。
史実ではトンイは7歳から入宮したので、実に16年間、同じ敷地に住みながらも会わなかったのです。
では、どうやって出会ったのでしょう?
ドラマでもその片鱗を見せていますが、粛宗は王にしては型破りで、好奇心も旺盛で夜歩きなんぞをしていたようです。
そんなある日、ある部屋に煌々と明かりがついていました。気になった粛宗は覗いてみました。
すると、ごちそうが並べられ、何かを祈っている宮女の姿が見えました。
遂に我慢ができなくなった粛宗は部屋の戸を開け、宮女に何をしているのかと訪ねます。
宮女は粛宗に向かってこういいました。
「廃庶人となった仁顕王后(イニョンワンフ:인현왕후)の誕生日の祝いをしておりました」
と。
まさに、この宮女こそがトンイです。
仁顕王后が王宮を追われて3年後のことです。
ドラマでは小屋で偶然出会いましたが、このエピソードの出会いもロマンチックですよね!
このエピソード、朝鮮王朝実録などの公文書ではなく、官吏の李聞政(イ・ムンジョン:이문정)が記した随聞録(スムンノク:수문록)に書かれています。
この本は1721年、景宗の御代に書かれたもので、個人が書いた回顧録のようなものです。彼の地位や職責からも信ぴょう性はそれなりに高いと言われています。