トンイはほんとにムスリだったのか?
トンイこと淑嬪崔氏(スクピンチェシ:숙빈 최씨)
通説では「最下層のムスリから王の生母となった」とされていますが、果たしてそうでしょうか?
ムスリ(무수리)とは宮廷内の宮女たちよりも下位に位置する宮女のための雑用係です。
通勤や婚姻も可能でした。
ここでまず、大きな論理矛盾があらわれます。
「通勤も婚姻も可能」ということは、宮廷に常駐している他の宮女と違い王の女ではありません。
宮女は王の女であり恩を受ける対象でした。王以外には性的に不可侵だったのです。
高麗時代と異なり内侍が男性器を切除して王に仕えていたのも、次代の王の正当性を確固たるものにするためです。
ムスリが通勤も婚姻も可能であれば、どこから種をもらってくるか判らないわけで、例え王のお手つきになったとしても、生まれてくる子が李氏でない可能性もあるのです。
このことを考えただけでも、淑嬪崔氏ムスリ説は成り立ちません。
さすがにまわりの官僚たちも、どこから種をもらってくるかわからない雑用係が王の女になることを黙っていないでしょう。
さて、それではトンイの身分は何だったのでしょう?
当時の歴史的資料がほとんど無いため仮説の域は出ませんが、一般の宮廷女官内人(ナイン:나인)であった可能性が高いものと思われます。現在では針房内人(チムバンナイン)説が最有力説となっています。
そもそもトンイが揀擇(カンテク:간택)を受けずに女官から側室になった事実はわかっているものの、ムスリであった明確な資料は皆無なのです。
宮女研究の第一人者キム・ヨンスク氏の初期のレポートに、淑嬪崔氏(スクビンチェシ:숙빈최씨)がムスリ出身とあったのですが、彼は後年この説を取り下げています。
それでも、彼女についてわかっていることがいくらかあります。
ドラマ張禧嬪(チャンヒビン)では父親は存命でした。
トンイでは少女時代の父と兄との別れが描かれています。
けれども公式には彼女の父である崔孝元(チェ・ヒョウォン)の墓標(최효원묘표)から鑑みると、3歳で父を5歳で母を亡くしたようです。
また、姉と兄がおり、兄の婚姻も確認されています。
その後、粛宗2年に7歳で入宮しています。
もともと国が管理する公奴婢(コンノビ:공노비)だったのかは定かではありませんが、孤児であることは確かです。
おそらく入宮の際には公奴婢だったでしょう。
その理由は、宮女は中央官庁の奴婢から選出する決まりがあったからです。
このことについては後日詳しくピックアップします。
イメージ的に女官には高貴さが漂いますが、出自は公奴婢です。
公奴婢内に身分の貴賎があるはずもなく、7歳で入宮した彼女は順当なら内人になるべく教育を受けたはずです。
常になり手不足だったといわれる宮女。トンイがわざわざムスリになる必然性がないのです。
ではなぜ淑嬪崔氏ムスリ説が通説化したのでしょうか?
ひとつには当時の党争が影響しているものと思われます。
派閥争いの最たるものは、主導権を握るための王の擁立ですが、敵対する党派が後の英祖を貶めるために、流言蜚語として流したのではないかと思われます。
淑嬪崔氏が一般的な宮女出身であったとしても、歴代王の母の身分では最下位であるのは事実であるため、それを少々誇張したのでしょう。
もうひとつは固定化された身分から抜け出せない民衆の願望です。
最下位層といわれるムスリからの嬪へのシンデレラストーリーは、宮女からの身分上昇よりドラスティックですからね!
※日本版ウィキペディアの「トンイ」の記載と韓国の公式サイトで、役職の名前や品階に差がありました。
ウィキペディアの記載者のミスか、ドラマのストーリーが進行したことによる公式サイトの記載変更があったのかが定かではないため、公式サイトの記載に順じています。
通説では「最下層のムスリから王の生母となった」とされていますが、果たしてそうでしょうか?
ムスリ(무수리)とは宮廷内の宮女たちよりも下位に位置する宮女のための雑用係です。
通勤や婚姻も可能でした。
ここでまず、大きな論理矛盾があらわれます。
「通勤も婚姻も可能」ということは、宮廷に常駐している他の宮女と違い王の女ではありません。
宮女は王の女であり恩を受ける対象でした。王以外には性的に不可侵だったのです。
高麗時代と異なり内侍が男性器を切除して王に仕えていたのも、次代の王の正当性を確固たるものにするためです。
ムスリが通勤も婚姻も可能であれば、どこから種をもらってくるか判らないわけで、例え王のお手つきになったとしても、生まれてくる子が李氏でない可能性もあるのです。
このことを考えただけでも、淑嬪崔氏ムスリ説は成り立ちません。
さすがにまわりの官僚たちも、どこから種をもらってくるかわからない雑用係が王の女になることを黙っていないでしょう。
さて、それではトンイの身分は何だったのでしょう?
当時の歴史的資料がほとんど無いため仮説の域は出ませんが、一般の宮廷女官内人(ナイン:나인)であった可能性が高いものと思われます。現在では針房内人(チムバンナイン)説が最有力説となっています。
そもそもトンイが揀擇(カンテク:간택)を受けずに女官から側室になった事実はわかっているものの、ムスリであった明確な資料は皆無なのです。
宮女研究の第一人者キム・ヨンスク氏の初期のレポートに、淑嬪崔氏(スクビンチェシ:숙빈최씨)がムスリ出身とあったのですが、彼は後年この説を取り下げています。
それでも、彼女についてわかっていることがいくらかあります。
ドラマ張禧嬪(チャンヒビン)では父親は存命でした。
トンイでは少女時代の父と兄との別れが描かれています。
けれども公式には彼女の父である崔孝元(チェ・ヒョウォン)の墓標(최효원묘표)から鑑みると、3歳で父を5歳で母を亡くしたようです。
また、姉と兄がおり、兄の婚姻も確認されています。
その後、粛宗2年に7歳で入宮しています。
もともと国が管理する公奴婢(コンノビ:공노비)だったのかは定かではありませんが、孤児であることは確かです。
おそらく入宮の際には公奴婢だったでしょう。
その理由は、宮女は中央官庁の奴婢から選出する決まりがあったからです。
このことについては後日詳しくピックアップします。
イメージ的に女官には高貴さが漂いますが、出自は公奴婢です。
公奴婢内に身分の貴賎があるはずもなく、7歳で入宮した彼女は順当なら内人になるべく教育を受けたはずです。
常になり手不足だったといわれる宮女。トンイがわざわざムスリになる必然性がないのです。
ではなぜ淑嬪崔氏ムスリ説が通説化したのでしょうか?
ひとつには当時の党争が影響しているものと思われます。
派閥争いの最たるものは、主導権を握るための王の擁立ですが、敵対する党派が後の英祖を貶めるために、流言蜚語として流したのではないかと思われます。
淑嬪崔氏が一般的な宮女出身であったとしても、歴代王の母の身分では最下位であるのは事実であるため、それを少々誇張したのでしょう。
もうひとつは固定化された身分から抜け出せない民衆の願望です。
最下位層といわれるムスリからの嬪へのシンデレラストーリーは、宮女からの身分上昇よりドラスティックですからね!
※日本版ウィキペディアの「トンイ」の記載と韓国の公式サイトで、役職の名前や品階に差がありました。
ウィキペディアの記載者のミスか、ドラマのストーリーが進行したことによる公式サイトの記載変更があったのかが定かではないため、公式サイトの記載に順じています。