粛宗(スクチョン)とヘンリー8世
粛宗(スクチョン:숙종)とヘンリー8世。
韓国ではこの2人が、よく比較対象とされているのはご存知でしょうか?
時代からも世界的ネイムバリューからも、ヘンリー8世が元祖といえるので、粛宗(スクチョン)は韓国版ヘンリー8世だとか朝鮮版ヘンリー8世と言われているのです。
なぜこう言われているかというと、后を何度も変えているから。
イギリスでは朝鮮とちがい複数の側室を娶ることはありませんが、正室である中殿を4人待った粛宗(スクチョン)を上回る6人の后を持ったのがヘンリー8世です。
では、ヘンリー8世とはどんな人だったのでしょうか?
シェークスピアの歴史劇でも有名なヘンリー8世は、チューダー朝のイングランド王で、在位は1509年から1547年です。
ざっくり言うと、粛宗(スクチョン)は200年ほど後の時代を生きています。
歴代王の中でも質実剛健・文武両道で強権を持った王です。
強い王権を持ったのも類似性の一つですね。
最初の后は、兄に嫁いでいたキャサリン・オブ・アラゴン。名前の通りスペイン王家の出身です。
兄が急逝した後、王位継承権第1位となったヘンリー8世がキャサリンと結婚しました。
その後ヨーロッパを震撼させる出来事が彼女と間に起こりました。
なんとヘンリー8世はキャサリンと離婚したのです。
「別にそれがどうしたの?」
と思うかもしれませんが、当時の西ヨーロッパはローマ教皇を中心としたカトリック世界の範疇でした。
そして、カトリックでは離婚は禁じられていたのです。
それでも、世継ぎの男児を産まないキャサリンを疎ましく思ったヘンリー8世は離婚を強行し、カトリック世界から離脱。イギリス国教会を作ってしまいました。
男児を産まない王妃を追い出すなんて、どこかで聞いたはなしですよね(笑)
そして、次の王妃として迎えたのは、王妃の侍女だったアン・ブーリンでした。
家系が多産とのことで、男児を期待したヘンリー8世でしたが、女児(後のエリザベス1世)を産みました。
男児が生まれなかったことに落胆したヘンリー8世は、アン王妃の侍女ジェーン・シーモアに心移りしていきます。
結婚して2年後、国王暗殺の容疑、および不義密通の容疑、魔術の使用の罪をかけられ処刑されました。
3人目の王妃は先述したアン王妃の侍女ジェーン・シーモアです。
待望の男子エドワード6世を産んだ彼女は産後の肥立ちが悪く帰らぬ人となりました。
その後、肖像画がが美しかったということで選んで大失敗し、結婚後すぐに離婚した4人目の后アン・オブ・クレーヴズ、姦通の罪で死刑となった5人目の后キャサリン・ハワード、6人目の后キャサリン・パーと変遷して行きました。
最後の后のときにヘンリー8世は死去しています。
どうでしょう?
ヘンリー8世
男児が得られず離婚 → 侍女を娶るも魔術の使用(濡れ衣)で死刑 → 再度侍女を娶り男児を得る・・・
粛宗(スクチョン)
男児が得られず仁顕王后(イニョンワンフ)を離婚 → 宮女のチャン氏を娶るも・・・ → 再度宮女(トンイ)を娶り・・・
2人の王の類似性ってありますよね?
韓国ではこの2人が、よく比較対象とされているのはご存知でしょうか?
時代からも世界的ネイムバリューからも、ヘンリー8世が元祖といえるので、粛宗(スクチョン)は韓国版ヘンリー8世だとか朝鮮版ヘンリー8世と言われているのです。
なぜこう言われているかというと、后を何度も変えているから。
イギリスでは朝鮮とちがい複数の側室を娶ることはありませんが、正室である中殿を4人待った粛宗(スクチョン)を上回る6人の后を持ったのがヘンリー8世です。
では、ヘンリー8世とはどんな人だったのでしょうか?
シェークスピアの歴史劇でも有名なヘンリー8世は、チューダー朝のイングランド王で、在位は1509年から1547年です。
ざっくり言うと、粛宗(スクチョン)は200年ほど後の時代を生きています。
歴代王の中でも質実剛健・文武両道で強権を持った王です。
強い王権を持ったのも類似性の一つですね。
最初の后は、兄に嫁いでいたキャサリン・オブ・アラゴン。名前の通りスペイン王家の出身です。
兄が急逝した後、王位継承権第1位となったヘンリー8世がキャサリンと結婚しました。
その後ヨーロッパを震撼させる出来事が彼女と間に起こりました。
なんとヘンリー8世はキャサリンと離婚したのです。
「別にそれがどうしたの?」
と思うかもしれませんが、当時の西ヨーロッパはローマ教皇を中心としたカトリック世界の範疇でした。
そして、カトリックでは離婚は禁じられていたのです。
それでも、世継ぎの男児を産まないキャサリンを疎ましく思ったヘンリー8世は離婚を強行し、カトリック世界から離脱。イギリス国教会を作ってしまいました。
男児を産まない王妃を追い出すなんて、どこかで聞いたはなしですよね(笑)
そして、次の王妃として迎えたのは、王妃の侍女だったアン・ブーリンでした。
家系が多産とのことで、男児を期待したヘンリー8世でしたが、女児(後のエリザベス1世)を産みました。
男児が生まれなかったことに落胆したヘンリー8世は、アン王妃の侍女ジェーン・シーモアに心移りしていきます。
結婚して2年後、国王暗殺の容疑、および不義密通の容疑、魔術の使用の罪をかけられ処刑されました。
3人目の王妃は先述したアン王妃の侍女ジェーン・シーモアです。
待望の男子エドワード6世を産んだ彼女は産後の肥立ちが悪く帰らぬ人となりました。
その後、肖像画がが美しかったということで選んで大失敗し、結婚後すぐに離婚した4人目の后アン・オブ・クレーヴズ、姦通の罪で死刑となった5人目の后キャサリン・ハワード、6人目の后キャサリン・パーと変遷して行きました。
最後の后のときにヘンリー8世は死去しています。
どうでしょう?
ヘンリー8世
男児が得られず離婚 → 侍女を娶るも魔術の使用(濡れ衣)で死刑 → 再度侍女を娶り男児を得る・・・
粛宗(スクチョン)
男児が得られず仁顕王后(イニョンワンフ)を離婚 → 宮女のチャン氏を娶るも・・・ → 再度宮女(トンイ)を娶り・・・
2人の王の類似性ってありますよね?