寧嬪金氏(ヨンビンキムシ)

寧嬪金氏(ヨンビンキムシ:영빈 김씨:1669〜1735)というよりも、ドラマでは淑儀金氏(スギ キムシ)や貴人金氏(クィイン キムシ)としてのほうが有名かもしれません。
第19代朝鮮王粛宗(スクチョン:숙종)の後宮の一人です。

実在の人物ながらドラマ・トンイには出て来ません。
キム・ヘス版チャン・ヒビンにはコミカルなキャラクターとして登場します。


仁顕王后(イニョンワンフ:인현왕후)も含めた西人(ソイン)は、張禧嬪(チャン・ヒビン:장희빈)を牽制するために、西人の領袖・金壽恒(キム・スハン:김수항)の家系、新安東金氏(アンドンキムシ:안동 김씨)から彼女を選び後宮に入れました。
けれども、徒労に終わり子を設けることはありませんでした。


これについては粛宗の好みだったのか、政治を考慮してだったのかは定かではありませんが、結果的に寵愛を受けたのは、宮女から後宮に上がった者ばかりで、仁顕王后(イニョンワンフ)と寧嬪金氏(ヨンビンキムシ)の名門の出自である2人は、寵愛を受けませんでした。



1686年肅宗12年3月28日(陰暦5月27日)、17歳で従2品・淑儀(スギ:종2품 숙의)として揀擇(カンテク:간택)により宮廷に入りました。
その後すぐに従1品貴人(チョンイルプン クィイン:종1품 귀인)に昇格します。

ここで注視したいのが、正式に両班の子女から後宮を選別する揀擇を受けていること。
粛宗の後宮では彼女だけが唯一揀擇を受けた存在です。


1689年4月、仁顕王后(イニョンワンフ)の勢力であったため、己巳換局(キサファングク:기사환국)により
西人(ソイン:서인)が宮廷を追われると、王后よりも先に宮中を追われ、私邸に蟄居することとなります。


1694年、甲戌換局(カプスルファングク:갑술환국)で西人(ソイン:서인)が復権したことで、仁顕王后(イニョンワンフ)共々宮中に戻りますが、それ以降も粛宗の寵愛を得ることはありませんでした。


1699年、叔父の第7代朝鮮王・世祖(セジョ:세조)に王位を追われた第6代端宗(タンジョン:단종)の復位を祝し、ほとんどの後宮が品階を上げたのですが、彼女だけは据え置かれました。
このときトンイこと崔氏(チェシ:최씨)は、貴人から後宮の最高位・嬪(ピン:빈)に昇格しています。

その3年後の1702年全ての後宮の品階を上げた際に、ようやく嬪(ピン:빈)に昇格し、寧嬪(ヨンビン:영빈)となりました。
この昇格の差については、子をなしている淑嬪崔氏(スクビンチェシ)をおもんばかってのことかもしれません。


1720年、粛宗(スクチョン:숙종)が死去すると、宮廷から私邸へと移ります。
このとき、粛宗の跡を継いだ景宗(キョンジョン:경종)は、朝廷の反対上訴をしりぞけ、立派な私邸を立てさせました。


1735年(英祖11)67歳で世を去ります。
彼女を幼い頃から母と呼び慕っていたトンイこと淑嬪崔氏(スクビンチェシ:숙빈최씨)の息子・英祖(ヨンジョ:영조)は、彼女の葬儀を丁重に行いました。
その墓標は現在でもソウルに近い南揚州市にあります。

テーマ : 韓国ドラマ
ジャンル : テレビ・ラジオ



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ありがとうございました

リクエストに応えて
寧嬪金氏について詳しくご教示くださいまして、
本当にありがとうございます。
ドラマではわからなかった彼女を知る事ができて大変にうれしいです。

カンテクで入宮したのに、仁顕王后同様に夫である粛宗により厳しい境遇に置かれ、
同じ女性としては複雑な思いがしました。
仁顕王后、寧嬪ともに子どもには恵まれませんでしたが、
王子を産んだなら産んだで
大変な思いをしたかもしれませんね。
ライバルであったはずの禧嬪の子・景宗から立派な私邸を建ててもらったり、
トンイこと淑嬪の子の英祖からも母と慕われたという事ですから、
王子たちに人望があったのでしょうかね。
寧嬪と名付けられたのは、性格または容姿が穏やかで安らぎのある女性だったのでしょう。
夫には恵まれなかった(笑)ですが、
ほどほどに長命で、英祖に母同様に丁重に弔われたなら、
それなりに幸せな人生であったのかもしれません。

どういたしまして!

全く同様の感想です。

女としての幸せは得られなかった寧嬪ですが、
義理の息子たちからは丁重に遇されていて、
そこが救われたところだったようです。

けれど、儒教国家で権力に近い場所にいた女性って
切ないですよね~。
このようなことが起こるからこそ、朝鮮後期には
入内する女性がめっきり減ったのでしょうね。

> リクエストに応えて
> 寧嬪金氏について詳しくご教示くださいまして、
> 本当にありがとうございます。
> ドラマではわからなかった彼女を知る事ができて大変にうれしいです。
>
> カンテクで入宮したのに、仁顕王后同様に夫である粛宗により厳しい境遇に置かれ、
> 同じ女性としては複雑な思いがしました。
> 仁顕王后、寧嬪ともに子どもには恵まれませんでしたが、
> 王子を産んだなら産んだで
> 大変な思いをしたかもしれませんね。
> ライバルであったはずの禧嬪の子・景宗から立派な私邸を建ててもらったり、
> トンイこと淑嬪の子の英祖からも母と慕われたという事ですから、
> 王子たちに人望があったのでしょうかね。
> 寧嬪と名付けられたのは、性格または容姿が穏やかで安らぎのある女性だったのでしょう。
> 夫には恵まれなかった(笑)ですが、
> ほどほどに長命で、英祖に母同様に丁重に弔われたなら、
> それなりに幸せな人生であったのかもしれません。
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さくさく

Author:さくさく
本業はアジアを駆け巡る旅人で、アジアン雑貨のネットショップオーナーです。
タイにはしょっちゅう行くのですが、実は韓国へは一度しか行ったことがありません(笑)

数えたことはありませんが、週に20時間、累計100本以上の韓国ドラマを見ていると思います。
ここ数年は、20話程度のミニシリーズではもの足りず、大河ドラマ(時代劇)や150話程度の日々ドラマにはまっています。

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